YEATS AND ZEN chapter1

 本章では、野口米次郎の著作がイェイツに対して与えた影響について述べられている。イェイツは1915年に彼の著作を紹介され、それを読んでいる。そして内藤はそれを受けて次のように述べる。

"It seemed to me upon reading Noguchi's book that Yeats's idea of the Unity of Being showed definite points of correspondence to the descripitions of Zen thought in that book"(3)

 彼は30代のときにある種の絶望に陥った。結局彼は自分の人生を整理し直し、それから立ち直ったのであるが、このときに彼を救ったのが「禅」の教えであった。そして、この禅の教えは彼を"Unity of Being"の発見へと導いたのである。そしてこの禅の教えは彼の詩作"Fragments"によく表れている。この詩第二連の最初三行は"Where got I that truth?/Out of a medium's mouth, Out of nothing it came,"となっている。つまり彼はすべてのエゴを捨て去って、無(=nothing)から生じる神(=medium)の声を聞くのである。

 

参考

Shiro, Naito (1990). YEATS AND ZEN. Kyoto : Yamaguchi Publishing House.

 

 

YEATS AND ZEN

 イェイツの「仮面」は自己を抑制するために開発されたものであることは事実である。しかし、その仮面が何を象徴するのかに関しては諸説分かれている。内藤史郎という研究者はそれに「禅」的な視点から解釈を与えた人物である。イェイツは日本の夢幻能に影響を受けて劇作をしたことは有名であるが、彼は夢幻能だけに影響を受けたわけではない。彼は1915年に禅の著作を野口米次郎という日本人から紹介され、読んでいることは事実である。またその後も鈴木大拙という仏教家の本を読んでいたことから、彼は禅に対して何らかの関心を抱いていたことは明らかである。鈴木大拙は世界でも著名な仏教家で、特に「禅」に対して厚い信仰を持っていた人物であった。そしてイェイツは鈴木の著作や論文に記しをつけていたし、ページを折り曲げたりしていたことから、「禅」が彼の作品に何らかの影響を与えたことは間違いなさそうだ。元々鈴木大拙は『日本的霊性』において日本=禅であるというようなことを述べており、日本の能に影響を受けたイェイツはその時点で「禅」の影響を受けているともいえそうである。それはさておき、内藤史郎の『YEATS AND ZEN』という著作はイェイツの禅的な影響を明らかにしようとするものである。特に彼はイェイツが"Unity Of Being"の思想を発見するのに「禅」の影響が多分にあったことを指摘している。つまり、この著作はいかにしてイェイツがUnity Of Being"の思想を得るに至ったのかを明らかにするものであると思われる。

 

参考

鈴木大拙(1972), 『日本的霊性』. 岩波文庫.

Shiro, Naito (1990). YEATS AND ZEN. Kyoto : Yamaguchi Publishing House.

 

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イェイツの仮面

 イェイツは生涯アイルランドに対して何かしらの貢献をした人物であるが、彼の生涯におけるテーマは「アイルランドとはなんぞや」ということであった。彼はこのテーマを追求すべく人生においてあらゆる手法を用いながら、自己の作品を作り続けていったのであるが、その手法というものは度々変化する。それは彼が人生において何を大切にするかがその時々によって違うために起こった変貌であるとも言える。万物は流転するのであるから、彼の人生における変貌も何ら不思議なことではないのであるが、その変貌の過程はとても興味深い。

 

 彼の詩作における手法の中でも特筆すべきはやはり「仮面」の手法である。彼がなぜこの手法を開発したのかは諸説あるが、一般的なものは次のようである。つまり、仮面の手法は彼の何かしらの欲望を抑制するために開発されたものであるということである。イェイツが日本の夢幻能の影響を受けて、仮面を用いた劇を作ったことは有名な話であるが、彼はこの劇に登場する人物のように、人生のおいて仮面をつけて生活しなければならなかった。それは人生というある種の劇における何かしらの登場人物になりきることによって、彼自身の欲望を捨てなければならなかったからだ。彼は人生において捨てなければ狂ってしまうほどの強烈な欲望を持っていた。木原誠はそれを殉教欲であると指摘する。(佐賀大学機関リポジトリ: W.B. イェイツにおける「仮面」と老い)つまり彼は英雄のように国に貢献をして死ぬという欲望に駆られたのである。彼はアイルランド独立運動におけるパトリックピアースに自己を投影しようとしていたのである。そして、この殉教に対する欲望を抑制するために開発されたのが「仮面」の手法であるというのが木原の指摘するところである。当時の彼は何者かになりきることによってしか自己を保つことができないような強い欲望に駆られていたことがこれから推測される。

 

 イェイツの生涯において重要な役割を占めた「仮面」の技法であるが、その仮面が何を象徴しているのかは研究者の間で諸説ある。つまり、仮面がイェイツの内に眠る欲望を抑制するためのものであることは一般的な説だが、果たしてその仮面を用いてイェイツはどのような人物になろうとしたのか、これに関しては説が別れているということである。もちろんこの仮面が何を象徴するのかも、彼が生きる過程で変貌していくものである。そしてこの仮面の意味とは、彼の諸段階においてどんな思想をもち、何に影響されたのかが検討されたのち、決定されるべきものであると思われる。